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真夏の蜻蛉・・・32

太陽にじりじりと照り付けられその葉に水滴さえ留めておけなかった秘苑の蓮の葉が、いつしか吹き始めた夕風に漸く生き返ったかのようにその身をゆらゆらと揺らし始めた頃、ヒョリンの父シン・ナムギルの姿は宮殿の奥、皇后の執務室にあった。尚宮の差し出すお茶には手も付けず、膝の上に置かれた彼の拳は、これから口にする事を物語っているかのようにきつく握られていた。
向き合って座っている皇后の表情は明らかに落胆の色が見え、そばに控えている尚宮もこのままこの場を離れてよいものかと思案する姿があった。

「シン・ナムギル殿、ではどうしても、と?陛下は王族会の審議にでており、ここには来られないのだ」
「申し訳ございません、皇后陛下。今、宮は大変な時。お忙しい陛下のお時間をいただくわけには参りません。義父とのお約束はどうぞお忘れ下さい、とだけお伝え下さい」

「ヒョンが皇太子になったとて何も変わりはしないのだ」
「いいえ、皇后陛下。お約束は大君殿下のご長男と、ということでした。ですから娘との婚姻の話はなかったものとお考えください。それが亡き義父の本当の願いなのです。宮へ入内するなど畏れ多い事、どうか、どうかお聞き届けください、陛下」

深々と頭を垂れるナムギルに皇后は困り果てていた。後宮の一切は皇后が取り仕切ることになっている。孫たちの妃の選定も例外ではない。しかしここでナムギルの申し出を受けてしまったとしたならば、夫である皇帝の望みは消え去ってしまうことになる。
なんとかナムギルの考えを変える手立てはないものか。皇后は尚宮のほうをチラリと見遣ったが、尚宮はほんの少し頭を低くするだけであった。
そこで皇后はナムギルの気持ちよりもその娘ヒョリンの気持ちに一縷の望みを抱いて姿勢を正し、ナムギルの顔をまっすぐ見た。

「シン殿」
「はい、皇后陛下」

「そなたの娘はこの婚姻に関して何と申しておる?」
「はい。まずは己を磨くためにも今は学問に勤しみたいと申しておりました。まだまだ子供である自分が、果たして入内して妃としての務めが出来るのものか、と。そして自信がないと申しておりました、皇后陛下」

「そうか、無理を申したのであるな」
「滅相もございません、皇后陛下」

きっとこのまま進めても平行線のままであろう。それでなくともシン家は、最初から皇太子妃は辞退したいとの意向であったのであるから、ここで無理を通しては、孫達の為にはなるまい。
ナムギルの握りしめた拳を見ながら皇后はなんとか双方が納得できる着地点を見出そうと目を閉じた。
今ではなく、大人になった孫たち。大人の言いなりではなく孫たちに決めさせたらいかがなものであろう。
大きくうなずきゆっくりと目を開いた皇后はナムギルに微笑んだ。

「では、こうしよう。今回陛下の命令で孫達はこの9月にそれぞれの地へ旅立つのだ。ユルはイギリス、シンはスウェーデン。慣れない地であるため孫達は苦労するであろうが、きっと青年皇族として私達の期待を裏切らず立派に成長して帰ってくると思っている。8年だ。戻って来るのは8年先になる」
「8年…ですか」

「その時にそなたの娘を妃候補の一人として考えても良いな?ユルとシンのいずれかの妃候補として」
「皇后陛下?」

「既に孫達も大人だ。陛下との約束をなかったものにするならば、それくらいの約束をこの私としてくれてもいいのではないか?シン殿」
「し、しかし、娘は…」

「解らぬではないか?未来の事だ。もしやそなたの娘が妃を望むやもしれぬ。いいか?シン・ナムギル殿」
「はい、皇后陛下。御意のままに」

上手く皇后に丸めこまれたような感ではあったが、とりあえずは自分の娘を宮へ入内させずに済んだことにホッとしたナムギルだった。娘のヒョリンは最初から嫌がったのだ。留学もしたいと言っていた。父親としても18歳で娘を宮へやるのは堪らく寂しかった。







「ヒョリンは自由に生きて欲しいし、好きな男の元へ嫁いでもらいたい。兎に角よかった…」
「旦那様、なんか嬉しそうですね」

すっかり暗くなった大通り。大型ショッピングセンターの灯りが煌々とその通りを照らし始める。運転士のミンが後部座席に座った主人であるナムギルに声を掛けた。

「ああ、これで少しは娘との生活が楽しめるよ、ミンさん。18歳で娘を宮に盗られるなんて堪らないからね」
「そうでございましたか。しかしヒョリンお嬢様に皇室へのお輿入れの話があったなんて驚きました。ウチのチェギョンなんてまだまだ子供ですよ。皇太孫殿下のパーティへ行ったのだって美味しいものが食べられるから…なんて情けない事を言っていましたからね」

楽しそうに笑うミン運転士。まさか自分の娘がシンから告白を受けていたなんて全く知る由もなく、主人であるナムギルを乗せて、江南にあるシン家へとハンドルを切ったのだった。
その夜、父ナムギルから皇后陛下の言葉を聞いたヒョリンは、一人机に向かっていた。目の前に置かれた日記帳。ペンを取るとページを開いて、真ん中にイ・ユル、イ・シンと書きこむ。

「イ・ユル…イギリスへ留学するのね。そしてシンはスウェーデン…」

トントンとペンで名前を叩くヒョリン。

「皇太子は、シンのお父様がおなりになったわ。皇帝陛下が亡くなったなら皇帝はシンのお父様がなる。だけど、きっと其の時、正統な直系のユルにすまないと思うかもしれないわね。自分の息子であるシンをそのまますんなりと皇太子にするかしら…世論が黙ってないかも。不幸にも事故でなくなった孝烈帝の息子であるユルを皇太子にする。絶対そうに違いないわ。棚から牡丹餅状態で皇帝の座を握れる今の皇太子は、引け目を感じて決して自分の息子を皇太子には・し・な・い…」

椅子から立ち上がったヒョリンはレースのカーテンを開けて窓を開いた。目の前には南山タワーが煌めき、漢江が綺麗にライトアップされている。

「ユルはイギリス…シンはイギリスではない。イギリスは立憲君主国としても学ぶことも多いわ…絶対そうよ。ユルが皇太孫、いいえ皇太子になるわ。私も大学はイギリスにしよう。せっかくお父様が許婚の件を辞退してきたのだもの。皇太子妃でなければ駄目、そう絶対に!」

ヒョリンは、日記に書いたイ・ユルという文字をペンで大きく囲んだ。










「ね、チェギョン。最近のアンタっておかしいよ…」
「おかしいってどこもおかしくないよ、ガンヒョン」

「9月になってからっていうか、夏休みからぜんぜんアンタらしくない」
「ガンヒョン…」

「あいつ…ほら皇族のやつらよ。原因はやつらなんでしょ?」
「違うって」

「待ちなさい!」

午後の授業が終わり、足早に更衣室へ向かうチェギョンの行く手をガンヒョンは遮った。いつもはきっちり結わえるトレードマークのお団子の髪が微妙に崩れ、顔には生気がない。

「アンタしっかり食べてるの?」
「…食べて、るよ」

「しっかり寝てる?」
「…寝て、る」

腕を組んで上から下までチェギョンの躰を見渡したガンヒョンはフワッと彼女の体を抱いた。そして背中に回した手のひらでトントンとチェギョンの背中を叩く。
何かあれば相談に乗って!と言いに来るチェギョンが何も言わずにただじっと何かに耐えている。その何かはよく解らないが、チェギョンの親友と自負しているガンヒョンは、少しでも彼女の気持ちが軽くなるようにと自然に彼女を抱いたのだった。

「ガンヒョン、ごめんね」
「なにが?」

「今は話せない」
「いいって。アンタが話したくなったら話せばいいから」

「うん、ありがとう」

シン君の自分への気持ち。
さんざんバカにされた挙句の告白だった。
最初から彼との出会いは最悪だった。
≪タヌキ≫と呼ばれたのだから。
毎日彼のカバン持ちをさせられた。
雨の日も風の日も、当然のように。
ただ、解ったこと。
シン君はヒョリンにプロポーズをしていない。
あの階段での事は聞き間違いだった。
でも、ヒョリンはシン君の許婚。
宮が決めた相手だったのだ。
そして、父から聞いた話。
シン家は許婚のお話を辞退した。
許婚の件は白紙になったのだ。
ヒョリンはお姫様になりたかった筈なのにどうして辞退したのか。

≪チェギョン、好きだ≫

どう考えてもおかしい。
多分何かの気まぐれに過ぎないのだ。
毎日顔を合わせていたり、話していたからきっと情が移ったのだろう。
拾って遊んであげた子犬に興味が湧くように、面白おかしくからかう自分に興味が湧いたのだ。
私達はまだ子供。
きっと私のことなんて忘れるに決まっている。
大人になって考え方も変わったら、私に告白した事をきっと後悔するに違いない。
シン君の事を待つ?
いいえ。
期待をすること自体が、身の程知らずということ。
私は自分の足でしっかり立てる大人になりたい。
8年後にはきっと彼を忘れているくらいに素敵な女性になっていたい。
いいえ、絶対なってみせる。
そして誰かと素敵な恋をする。
そう…
シン君達の世界とは全く関係ない人と。


更衣室のロッカーの扉を閉めたチェギョンは、廊下で待つガンヒョンに笑いかけた。
彼らとは、シンとは、違う道を歩んでいく自分の未来が、そこあるような気がしたのであった。

8年後…
チェギョンはその身をソウル市内にある国立中央博物館に置いていた。


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hana

Author:hana
韓国ドラマ【宮】をベースにした妄想話を綴っています。王道ありパラレルあり、風の吹くまま気の向くまま…

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