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朔望の宵空・・・4

「さて・・・と。」

髪をお団子にまとめ腕まくりをしてジャージの裾をほんの少し上げたチェギョンは半日掛けて掃除をし、ある程度綺麗になった洋室をぐるりと見渡した。
大きな脚立を持ち出して、果敢にも天井につるされたシャンデリアめがけて昇り、ガラスを一つずつ手にとって丁寧に磨いていく。

「まったくここの担当者って私に逢うのを避けているのかしら。ずーっと来ないじゃない。いつもメモ書きばかり・・・ま、いいけど。かえって気が楽よね。納得が出来るまでいつまでも掛ってもいいなんて・・・・うふふ、税金の無駄遣いじゃない?なあんてね。」

「税金がなんだって?チェギョン・・・」
「ひゃっ!」

「危ないっ!」

急に現れた皇太子。
脚立の上にいたチェギョンは驚いて、バランスを崩し必死で脚立にすがった弾みで体が後ろへ落ちていく。シミだらけの絨毯をけり上げて走り出した彼は間一髪落ちてくるチェギョンの下に回り込むと、両手を広げて彼女を受け止めたが、勢いでそのまま床に二人で転がった。

「大丈夫かっ!」
「ふぅ・・・はぁ・・・大丈夫・・・じゃないみたい・・です。」

「どこか怪我をしたのかっ!?」
「私じゃなくて・・・」

「え?」
「殿下・・が・・」

震えるチェギョンの指差す方向に視線を向ける眞。
ドレスシャツのカフスボタンが飛んだ拍子にどうやら彼の腕を傷つけたらしい。
流れる血にあわててハンカチを差し出すチェギョンだがその顔は蒼白だった。

「私、逮捕されるのですか?」
「逮捕?」

「お体を傷つけてしまいました。誰かがここへくるのでしょう?」
「・・・」

眞から離れるとチェギョンはその場に膝まづいた。
皇太子の目の前で失態を犯したばかりでなく怪我をさせたのだ。
きっと内人達が慌てて駆けつけるに違いない、そして私は連行される・・・そうチェギョンは思ったのだ。
しかし、いつまでたっても誰も現れないばかりか、チェギョンのハンカチで傷口を押さえた眞は、跪くチェギョンに近付いた。
伸ばされた眞の手がチェギョンの肩を引き寄せる。あっと言う間にチェギョンは眞の胸の中に納まっていた。驚いたチェギョンは両手で眞の胸を押し上げたがさらに眞はチェギョンを抱きしめる。

「此処には誰も来ない、人払いしてある。お前が集中できるように・・・怪我がなくてよかった。」
「え?」

「ここに住まわせていることは、直轄の内人しか知らない事だ。」
「殿・・・下。」

「ここでは殿下とは呼ぶなと言っただろう?」

胸元のチェギョンをほんの少し外し、驚いた彼女の顔を愛おしく見つめる眞。
そんな眞の態度の意味が全く分らなくて、外された瞬間を利用してチェギョンは眞から大急ぎで離れた。胸のドキドキが止まらず、頬が俄かに熱くなる。もしかしたらあの痣が現れるのじゃないかと必死にチェギョンは頬に手を当てて俯いた。

「す、すみません。だけどどうして私が此処で働いているのを他の職員さんは知らないのですか?私、宮の職員として採用されたんじゃ・・・」
「・・・・・此処へ来ることをずっと願っていた。」

「え?」
「他の場所へ行ってしまわないか気が気でなかった。」

「そ、それって・・・まさか?」
「そう、そのまさか、さ。就職活動を悉く邪魔をした。いつも見ていた。」

「なんですって?!じゃ、いつも視線を感じていたのは・・・」

スッと立ちあがった眞。

「その痣・・」
「あっ!あ、あの・・・醜い・・ですか?」

「いや・・・むしろ・」
「え?なんですか?」

「今日は此処までにするように。天井は専門家にやってもらうから壁紙だけの事だけを考えてくれ。またこんな事があったら心臓が幾つあっても足りない。」

広間のステンドグラスの扉を開け放った眞はテラスに出た。
夕日はすでに沈み空は紫色に染められ始めている。

「下弦の・・月だ。じゃ、おやすみ。」

片手を上げてテラスの階段を下りて行く眞。
チェギョンは慌てて後を追ったが、すでに眞の姿はそこにはなかった。






急に現れては自分に対して優しい言葉を掛けて行く眞。
今まで彼と全く面識のなかったチェギョンにしてみれば不思議なこと。
人払いをしている、
他の内人は自分がここにいることを知らない、
それに自分の就職活動を邪魔した、
とてもおかしな話だ。
宮に採用になってから1週間。
不思議な事だらけ。
食事は食べたいと思ったときにはすでに用意されているし、必要な道具を、と思えば小部屋にいつの間にか揃えられている。

「そう言えばガンヒョンと暫く話をしてないし、明洞の街にも行ってなかったわ。休暇はあるはずよね、一応働いているのですもの・・・まさかここに捕らわれの身なぁんて事はないわよね。」

慌ててバックから取り出した携帯。友人のガンヒョンに電話をかけようとして画面をスクロールしたのにガンヒョンのデータがない。驚いたチェギョンは通話履歴を開くがそこにもガンヒョンの履歴はなかった。

「やだ!間違って消去しちゃった?どうしよう。ガンヒョンの番号、暗記してないわ。あ、バイト先の店長さんの・・・・」

急いで画面を切り替えたが、やはりデータが消えている。
大いに慌てたチェギョンは番号案内に掛けたがいつまで経っても繋がらない。

「電波が届かないって・・・あ、もしかして国外から傍受されないために宮が妨害電波でも発信してるのかな?うん、きっとそうよ。ここは通常じゃないものね。此処から出ればいいのよ。今夜は明洞で夕ごはんにしようっと。焼肉にしようかな、そうだ、ガンヒョンのアパートに寄っていけば・・・」

道具を片づけてシャツとジーンズに着替えるチェギョン。
バックを持って小部屋のドアを閉めると、洋館の外へ出た。
辺りはかなり薄暗くなっている。
鋭い光を放った三日月が濃紺の空に浮かび、昼間の暑さとは違った涼やかな風がチェギョンの顔を掠めてく。

「あれ?どっちへ行ったらいいの?」

薄暗い林の中を歩き始めたのはいいが、此処へは年老いた女性の後をついて歩いてきたので良く道を覚えていない。
池のほとりを大分歩いてきた記憶はある。しかしながら、昌徳宮のすべてを一市民のチェギョンが知っているわけがなく、案の定迷子になってしまった。

「どうしよう・・・洋館もどこにあるのか分らなくなっちゃった・・・・」

まっすぐ道なりに歩けばきっと池に出るはずと、歩き始めたが行けども行けども池は見えてこない。
どんどん暗くなる林の中。
秋虫の鳴き声だけが迷子になったチェギョンを慰めるようだ。

「焼肉を食べようなんて思ったのは誰?アンタでしょ、シン・チェギョン。もう、どうするのよ!今夜は此処で野宿するつもり?」


≪ガーーッ!!≫

「きゃーっ!」


頭上でカラスが大きく啼きバサバサっと飛び立った。
驚いたチェギョンはその場で蹲る。


≪ザワザワザワ・・・ガザガザ・・≫


夜になって吹き始めた風に木々達がざわめき始めた。

「もう・・・誰か・・・誰かいませんか?ねぇ・・・お願い、誰か・・・ガンヒョン・・・店長・・・・・パパ・・・・ママ・・・・で、殿下・・・シ、シン!!!」

・・・と、砂利を踏む足音が聞こえてくる。

「漸く呼んでくれた・・」
「だ、誰っ?・・・・シン?」

「全く・・・」
「ああ、よかった。」

暗がりで良く見えないが、声の感じからして皇太子だと判断したチェギョンは胸を撫で降ろした。

「ずっと監視していたはずなのにな。」
「監視・・って。」

「忘れないでくれ。此処は宮だ。」
「あ・・・」

「急に洋館から姿を消したと報告があったから慌てて捜索させた。」
「ご、ごめんなさい。あの、だけど・・・」

なんてお詫びをしていいか迷ったチェギョンは、次の言葉を探そうと暗がりの中の眞の顔を見上げたとたん彼の胸の中に引きこまれていた。
頬に冷たい彼の指先が触れて髪の生え際をほんの少しずつ上がり、お団子にした髪がいつの間にかその指によって梳かれていく。

「・・チェギョン。」

耳元に掛った髪を掻きあげて眞は囁いた。
身動き出来ないほどの強い抱擁。
眞の熱い吐息にチェギョンはなんだか分らない焦燥感に捕らわれた。

この感覚を自分は知っている、
どうして?

眞の顔が近づいた瞬間、言葉を発しようとしたチェギョンの唇が眞の冷えた唇で優しく塞がれた。

知っている・・
このキスも、
この抱擁も、
この吐息も、

眞の胸から逃れようともがいていたチェギョンの動きがいつしか止まった。
おずおずと伸ばされたチェギョンの手が眞の背中にゆっくりまわる。

「シンの事、私は・・・・」
「ああ・・知っている。」

自分を見上げる不安げなチェギョンの顔を見つめて眞は静かに笑うと、彼女の頬を両手で挟んだ。
頬に掛る眞の手に自分の手を重ねるチェギョン。

「前にもこんな事があったような気がする・・・・」
「・・・」

「ここにね、時々痣が出来るの。いつもはないのに。」
「・・・知っている。」

「触るとね、チリリってする時があるの。」
「・・・私のせいなんだ。だけどもうここに痣は出ない。なぜならお前を見つけたから。」

「え?」

眞は頬にあるチェギョンの手を掴むとしっかりと自分の手と繋いだ。
ざわめいていた木々が静かになり、秋虫の声だけが静かに鳴り響いている。

「街に行きたかったのか?」
「はい。」

「しばらくは無理だ。」
「はい。」

「戻るとしよう。もう一人で出ようなんて考えるな。」
「はい。」

眞とのキスはチェギョンにとっては驚くべき事であったはずなのに、なぜか落ち着き払っている自分が信じられなかった。

相手は皇太子なのに、
面識は全くなかったのに、
まるで・・・まるで昔からの恋人だったように思えるのはなぜなのか。



数分も歩かないうちに洋館の温かな灯りが目の前に現れた。

「え?こんなに近かった???」

くすっと笑った眞は洋館の扉を開けた。

「さて、チェギョン。今夜此処へ泊るから。お前を見張るために。」
「え?と、と、泊る?」

とっさに胸を隠すチェギョン。
悪戯っぽく笑った眞は右側の洋間を指した。

「え?そこって片づいているの?」
「当り前だ。私の部屋だった、からな。」

「入ってはいけないって言われてたの。なんだぁ、そうか・・・・・では、お休みなさい。皇太子殿下。」

自分の部屋へと眞に背中を見せて歩き出したチェギョンの躰が、後ろから追ってきた眞に抱きすくめられた。

「待っていたんだ・・・」
「え?」

「ずっと、そう、ずっとだ。」



-----想い続ける? ならば、その想いで呪詛を解け-----



「おやすみ・・・」
「おやすみなさい・・・」

チェギョンの姿が彼女の小部屋に消えるまで。
静かに閉じられた眞の部屋の扉の前には、いつのまにか大きな水溜りが出来、闇夜に浮かぶ三日月を映し始めていた。











To be continued ・・・・
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09 11
プロフィール

hana

Author:hana
韓国ドラマ【宮】をベースにした妄想話を綴っています。王道ありパラレルあり、風の吹くまま気の向くまま…

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